BA × UX

はじめに: 下記の内容にご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひディスカッションせてください(@t_maedaまで)。

5~6年前でしょうか、UXはもっと上流で割りと決まってしまっているよね・・・なんて話をよく界隈で話すことがありました。実際はそんなこともない部分もありそうですが、UIまわりでいくら悪戦苦闘しても、あらゆる意思決定の源泉であるビジネスの要求の前には、UXについて十分に追求しえない・理想を追えない、そんな心の声が当時あったのかもなと思います。

逆に言えば、ビジネス側から”ふってきた”目標や狙いに対し、実に盲目的な態度であったといえなくもありません。もともとビジネス側、ユーザ側という二元的な考えた方自体がおかしいとも言えそうですが、それはまた後日整理してネタにするとして、僕自身はそれなら単純にそっち側(ビジネス)にもっと踏み込めばいんじゃないかと考えたくちでした。

デジタルのサービスや製品を、ユーザを巻き込んだ一つの体験装置・システムとして捉えると、企画者やIA、UIデザイナなどの分類などは少しつまらなく感じる時があります(※もちろん、それぞれの専門性を否定する話でもなく、仕事上名乗る必要はあります)。もっと一連のシステム、全体を捉えたいという欲求は、UX領域で実践を積んでいる方であれば、少なからず持っているはずだと思います。

BA x UX

前置きが長くなりましたが、Service Designといったフィールドにシャープに切り込むためにも「ビジネス」に強くならなければなりません。そこで、UX実務家の1つのフロンティアとして、BA(Business Analysis)を見定めるべしと思っております。

BAってそもそもなんだろうということでググってみると、例えば以下のようなものがありました。

端的に言うと、ビジネスアナリシスとは、ビジネスを成功に導くために必要なタスクやテクニックを集めたものである。具体的には下記の4つがポイントになる。
1.組織のゴール(および目標)を明確にし、ビジネスニーズを定義すること
2.ステークホルダー(利害関係者)の真のニーズを引き出すことの責任をもつこと
3.ソリューションを定義し、それを開発側に伝えること
4.ソリューション構築後に、その妥当性を確認すること

ビジネス+IT:「BABOKとは何か?5分で理解するビジネス革新のベストプラクティス」

上記の引用だとまだわかりやすすぎると思われますので笑、また後日深掘っていきたいと思います。LinkedInでは“User Experience and Business Analysis”というコミュニティもあるようですね。

恐らくBA x UXと聞いて想像するようなことは、スタートアップの経営者や事業担当者の方なら息を吸うかのごとく当たり前にやっていることだと思いますが、意外とやりきれずに困っている話も一方で耳にします。プロダクトの責任者の方と飲んだりしても、「ブレインになる人」がいないという話を最近よく聞きます。同等レベルのビジネス視点を持ちつつ、顧客への洞察からインパクトを及ぼしそうな企画の種を導出できるような人間は中々いないということなのでしょう(Lean UXのスライドなどでよく引用されている”agile doesn’t have a brain“も似たような状況を指しているのかもしれません)。

また、スタンフォードのd.schoolでも取り組まれているような、design thinkingのリテラシがあるBAエキスパートとUXエキスパートがうまくコラボしてやるという形ももちろんあるでしょうが、あくまで一定は自分で踏み込みたいです笑。

BA x UX的な人のスキルというかやるべきことのイメージとして、漠然とですが以下のようなものを想定してみました。

  • ユーザリサーチ(コアスキルとして):ユーザへの洞察から、価値提供の機会を導出し、事業全体に対しインパクトある提言ができる。本人がオブザベーションできると尚良い。
  • ビジネス分析:事業戦略を理解し、そこからUXの方針策定に至るまでの具体的な論点を定義した上、ユーザドリブンに解決の道筋を作れること。さらには事業戦略そのものにインパクトのあるフィードバックを返せる。
  • プロトタイピング:ユーザ理解と、場合によっては一定のビジネスからの要望を統合し、コンセプトとしてのUI(ラフな検証に耐えうる)にまで落とせる。

これを完璧にできるようになりたいですね。どんな素振りをしていけばいいでしょうか。そんな複雑な話ではないですが、これからも試行錯誤していきたいと思います。

こんな感じの関心をもったかたは、最近増えているんじゃないでしょうか。一つの結晶が、昨今のUX StrategyやService Designではないかと思います。このあたりのテーマにもより貢献していけたらなと思います。余談ですが、この手のカンファレンスに参加すると(今年はUX STRAT2014に参加しました)、UXはもはやビジネスそのものを本質的に貫くものになったんだなとしみじみ感じます(その分、デジタルから外れた瞬間すぐに「当たり前」のものに見えたりもするのですが)。

最後に、岩波文庫の『孫子』の中にシステム思考っぽくて気にいっている言葉があるのでご紹介します。

奇正の環りて相い生ずることは、環の端なきが如し。たれか能くこれを窮めんや。
(奇法と正法とが互いに生まれ出てくる-奇中に正あり、正中に奇あり、奇から正が生まれ正から奇が生まれるという-ありさまは、丸い輪に終点がないようなものである。誰にそれが窮められようか。)

来年はUXのフィールドにいながら、BAだけでなくもいくつかの「奇」を放り込んでいけたらと思ってます。

繰り返しになりますが、上記のようなお話にご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひディスカッションなどさせてください。どうぞよろしくお願いしますー(@t_maedaまで)。

この投稿はUX Tokyo Advent Calendar 2014向けに書いたものです。ということで、皆様メリークリスマス&よいお年を~!


#personal memo : 専門職

組織において文化人類学のエキスパートを権威づけることの本質を理解している日本企業はどれぐらいいるのだろうか。

専門職制度がうまく育たないという。
その最も大きい原因は、世間に通用するジョブ・タイトルが社会的に確立していないことだろう。
部長、課長といった管理職だけが世間で評価される。だから、猫も杓子も草木がなびくように管理職をめざす。
これからの企業は、管理職を上回るほどの専門職を求めるようになるだろうと、私は見ている。
世間もたとえ認めなくても、企業の中においては積極的に専門職を要請する必要がある。そしてこれらの専門職に、権威をつけていかざるをえない。
『土光敏夫 信念の言葉』(PHP研究所)より

上へ上へと思っていたら上がつまってしまい、仕方がないので階層を増やして微妙な権限の違いでミルフィーユみたいな組織が出来上がってるのかもしれない。

どの専門職に権威を付けるかは、経営戦略(の一環)だろう。UX関連職種(または顧客中心専門職)を少しずつ耳にし始めたのは嬉しい限りだが。

ところで最近はサービスデザインという言葉も聞かれるが、価値創出を組織内外の機能のネットワークやシステムとして設計するもので(バリューチェーンと何ら変わらない気もするが)、現状は休眠資産をインターネットの力でうまく束ねて、主にコスト優位性とデジタルならではの利便性とあわせて既存市場に参入しにいくケースが多いように見える(Airbnb、Uberなどなど。リクルートのリボン的な感じも?)。

そこでは、ヒエラルキーよりもより専門機能・専門職を横に効率的につなげる必要に頭が巡る。現場に近いところでは、UXプランナー・サービスデザイナーというような職種の人間が活躍し始める。一方、よりトップマネジメントに近いところでは、UXストラテジストとして、マーケティング〜経営視点からシステムの設計を支援する。UXストラテジストは、具体的な経験価値というよりも、それを最大限生み出すような組織のベクトルをデザインするような職種に違いない。


#personal memo: システムとUXことはじめ

Donella H. Meadowsさんの”Thinking in Systems: A Primer“は、システム思考における名著です。
特にレバレッジのトピックが非常に面白いので、今後いくつかブログで紹介していきたいと思っています。
(本書より基本的なところを抜粋)
————————————–
システムとは、特徴的な挙動を生み出すあるパターンや構成(よく「機能」や「目的」として分類される)において、構成要素が一貫した仕方で組織化、相互連結化されたものである。
  • 一つのシステムは、その構成要素の集まり以上のものである。
  • システム内のたくさんの相互連携が、情報の移動によりシステムを操作する。
  • システムについて最低限明らかなこと(その機能や目的)が、システムの挙動を決定する最も重要な因子である。
  • システムの構成が、システムの挙動の源泉である。システムの挙動は、時間をかけて、一連のイベントとして明らかになる。
システムにレバレッジをかけるポイントは、以下の12個考えられる。
  1. パラダイムからの脱却
  2. パラダイムを変える
  3. ゴールを変える:システムの目的
  4. ルールを変える:インセンティブ、ペナルティ、制約
  5. 自己組織化:システムの構造を強化したり、変化させたり、進化させるパワー
  6. 情報の流れを変える:誰が情報にアクセスする、またはしないかの構造
  7. 強化型フィードバックループ
  8. バランス型フィードバックループ
  9. 遅れ
  10. ストックとフローの構成
  11. バッファー
  12. 数字(パラメータ)

————————————–

ソーシャルゲームなどまさにそうですが、経済的なシステムと顧客の行動メカニズムを一連のシステムとして捉えて、双方がハッピーになるためのレバレッジを見つけていくことが、これからの思考方法の一つとして重要になるんじゃないかと思っています。


#personal memo: 空海〜身体的・情報論的・量子論的

800年頃、密教を日本に持ってきた空海の思想(密教解釈)が、とても現代な感じがして驚きました。簡単なメモです。
  • 差異を重んじる。梵字は世界の差異を表象的に表すとして存在する。文字というのは、差異の世界。情報の話をしているようだ。
  • 他の仏教や禅と比べて、強く現世を肯定。この世界をよく悟り、よく遊べ。
  • 身体性をかなり重視。「顕形表」といって、「顕色」はいわゆる色(color)、この顕色が集積する「形色」はかたち、さらにそれが消滅したり相続したりすることを「表色」という。表色とは動的、時間的なもの。
  • お釈迦様のさらにその根本に「大日如来」がいて一番偉い。
  • 世の中の因縁(因果関係)をたどると、因縁では説明できない「不生」(因果の原点)にいたる。不生、つまり生じもせず、滅しもしないところからにあらゆるものが由来している。ビッグバン理論、宇宙の始まりを語るようだ。
  • 梵字の最初の一文字目である阿(あ)字が全ての始まり。つまり阿=不生を表す。さらに阿は口を開けばどこにでも出てくる存在であり、あらゆるものが不生である。部分が全体であり、全体が部分であるような。
  • 「自ら楽しんで大笑、他人を救って大笑」
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『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル)

かたち:狩猟・戦闘→かた:弓道・弓術→か:禅的生活・禅の思想

僕は高校3年間は弓道部に所属していました。弓道部というと精神修養にいいですよねなんてよく聞かれますが、当時の先生は、とにかく型を身につけて、左手に握った弓を手首を少し押し込むように捻りながら押せば的に中たる、それだけだという感じでしたw。でもそれで確かに中たるのでとても楽しくやっており、調子がいいときは「自然と中たる」という感じもありました。

本書は大正時代、ドイツの哲学者であるオイゲン・ヘリゲル氏が、弓術を通じて日本の非合理的・直感的な思考や禅の精神に接近した体験を綴った、短くも濃厚な本です。ドキュメンタリーのような本書を通じて、ヘリゲル氏の目を通じて禅への求道を追体験するようでした。

ヘリゲル氏は弓聖と呼ばれる阿波研造氏に弟子入りし、自宅に巻藁を置くほどガチンコで練習に励みます。師匠の到底論理的ではない(がそれ以外に表現しようもないい)アドバイスに戸惑いつつも、遂には自らの身体をもって、日本の精神を体得していきます。阿波師匠の数々の言葉がとても感銘を受けるものであったため、下記にいくつか引用いたしました。阿波師匠の言葉を聞くと、自分も過去の弓道体験からか身体が反応するようでした。

自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい

的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は有と非有の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心に在る – これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的を同時に射中てます。

「的を狙わずに中てる」という感覚が全く分からずに苦しむヘリゲル氏に、師匠は直接それを示して見せます。その技が本当に神がかっている。暗闇の的の前に、線香1本だけ差し、それを目印に射ぬきます。

第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈(はず)に中たってそれを二つに割いていた。

筈とは矢の後ろにある溝のことで、弓の弦をかける部分。1本目に射った筈を2本目でさらに射ぬくとはまさに弓聖。後に師匠も「不思議なこともあるもんだ」と話していたそうな。笑

幸運にもYoutubeで阿波研造範士が射る動画を発見。大昔の映像のため、型がきれいだぐらいのことしか見えてきませんでしたが。

射は人格完成の手段であって、正しき射を修行すれば、一射ごとに人格の向上を計りうる、而して一箭ごとに完全な自我が宇宙と合体しうるのである

弓を引いている瞬間の我は、宇宙と一体をなすべきものであること、一射一射が射手の全生命を投げ出したものでなければならないこと、射がすなわち禅的生活であること

そういえば、剣道や柔道なかと比べても、弓道は相当シンプルな競技であったと思い出されます。前に引用したように「自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うこと」を促すカタになっていると思います。むしろ茶道に近いんじゃないかと思える。

日本人はやはり生活を哲学する存在であると、あらためて実感しました。

さて、次に会う禅の本に向けて問いをメモ。

  • 禅の精神こそ日本人の最も強みとするものではないか?
  • 日本の50年後に禅の精神は残っているか?
  • 日本のデジタルは、インターネットは、禅の精神を残すことができるか?ヒトの問題なので、論理で出来たデジタル上のものだけで何かすることは不可能だが、弓道という仕組みのように、エンゲージすることはできるはず。やはり西垣通さんの思想は何か近いものを感じる。
  • 実は禅の精神(というかもっと深い何か)を求めて既に始まっている行為は見当たらないか?オタ芸だってオタ道になりえるかもしれない。
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