第5回WebUX研究会「ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング」にて発表しました。

第5回WebUX研究会(12/3 Sat.)「ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング」にて発表してきました。当日の様子については、uxtokyo.orgや参加者の皆さんのブログでもご覧いただけます。

“Storytelling for User Experience”の翻訳(by UX Tokyo)

このたび、UX専門家で知人である酒井さん・脇阪さんらと、UX Tokyo名義にて”Storytelling for User Experience”を翻訳いたしました。12月下旬に丸善出版より発売予定です。

ストーリーテリングは決して真新しいものではありませんが、UX業界においてはまだ浸透・活用の余地があり、UX専門家は身につけておくべきスキルだと思っています。

UCDにおけるユーザ調査結果(定量も含む)の伝達や、新しいデザインアイディアの伝達において役立つものであり、また、チーム内の様々な職種・立場の方を「説得する」ためのコミュニケーションツールでもあります。もちろん、ストーリーテラーとしての素質のある方で、既に出来ている人も数多くいることでしょう。

個人的にストリーテリングは「聞き手の主観を発動させて導くためのお膳立て」ではないかと思っています。人は、他人のイメージではなく自分のイメージで物事を理解します。やや比喩的ですが、船のこぎ手が聞き手ならば、我々は彼らの想像力を刺激する水路を引いてあげて、あとは自ら目的地にこぎ出してもらうことで、「腹落ち」してもらうことだといえます。

本書はユーザリサーチャーにとっては、非常にしみじみと深〜くうなずいてしまうような詩的な印象をいただくことでしょう。行動観察やインタビューの経験があるかたならば、うなずきポイントが大量にあり、理解は一瞬だと思います。一方、あまりユーザリサーチに馴染みのない方は、具体的なストーリーのサンプルを通じてストーリーテリングはもちろん、ユーザ中心デザインについても学ぶことが出来そうです。

さて、本書の発売にあわせて、第5回WebUX研究会の場をお借りして、UX Tokyoの3名(酒井、脇阪、前田)にて本書の紹介をしてきました。私のパートでは、「ストーリーを作る」と題して、ストーリーの「要素」と「パターン」をいかにコントロールするかに着目したプレゼンテーションと、関連するワークショップを行いました。

第5回WebUX研究会「ストーリーを作る」パートの発表内容抜粋

  • ストーリーテリングは、メッセージの伝え方の一種であるけども、メッセージを明示するビジネスプレゼンテーションと異なり、聞き手の想像力を刺激しながらメッセージを暗示する方法と言える。
  • 目標である「オーディエンス自らがこちらの意図する想像をしている状態」に向けて、コントロールすべき「5つの要素」と、利用できる「6つのパターン」が存在する。
  • 聞き手にメッセージを想像させるとは、以下の同じトピックに関する2つのストーリーの違い。
    (1)「夕方5時。三田さんはレポートに取り組んでいた。」
    (2)「もうどれぐらい時間が経ったのか、三田さんは分からなかった。オフィスはとても静かだった。オフィスの壁は、今朝行ったブレインストーミングのポストイットで覆われていた。机の上にはプリントの山が積み重なっている。半分かじりかけのサンドイッチがデスクの端においてあって、長い間忘れ去られている。オフィス内には、三田さんがキーボードをカチカチと打つ音だけが鳴り響いていた。」
  • 以下の5つの要素をコントロールしながら、聞き手にメッセージを想像してもらう(重要です)。
    1.視点、2.キャラクター、3.コンテクスト(物理的、情緒的、知覚的、記憶的、歴史的)、4.心的イメージ、5.言葉遣い
  • ストーリーテリングには伝統的な6つの構成パターンが存在する(こちらはおまけですね)。
    1.規範的、2.英雄的、3.新しいものに親しむ、4.フレーム化、5.レイヤー、6.文脈的幕間
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知識移転力を高める「物語の知」

家にたまたまあった本をたぐってみたところ、『知識創造の方法論』(野中郁次郎、紺野登)において、ストーリーテリングは知識創造手法の一部を担うもので「新たな思考形式=コンセプトの実践化における重要な伝達・移転の知である」と紹介されていました。以下にその一節をご紹介します。
「物語」(ストリーテリング)は、自分自身の経験(つまり、暗黙知)をすべて形式知化してしまうことなしに、暗黙知の意味的豊かさを失わないように、すなわち「場」や状況を含めて、伝達する「内面化」の方法です。
「意味的豊かさ」については、上述の5つの要素やまさに「心的イメージ」あたりが関連するものであり、「豊かさ」を生むディテールをオーディエンス視点でいかに組み込むかについては本書でも多くのTipsを紹介しています。
さらに『知識創造の方法論』ではストーリーテリングで著名なS・デニング氏を参照し、「物語」には以下のような特徴があるとも述べています。
  • 結びつき – 聞く人に積極的なかわわりを持つアイデアや彼らが共感できる主人公の設定
  • 奇妙さ – 聞く人の期待や気持ちをゆさぶる
  • 理解しやすさ – 伝えたいアイデアを感情や身体の感覚に訴えるように語ることで、聞く人を新たな理解のレベルに跳躍させる
  • そして何より重要なのは、物語が「ハッピーエンディング」であること
元来ストーリーテリングはオーディエンス(聞き手)中心にデザインされたメッセージです。従って、ストーリーテリングには聞き手の深い理解が重要になります。本書でもストーリー〜ストーリーテラー〜オーディエンスの3つを「ストーリートライアングル」と称して、ストーリーづくりにおけるオーディエンスの重要性を十分すぎるほどお伝えしています。
さて、ちょとずつ発売が後ろ倒しになっていますが、12月の下旬には発売予定です〜!初版では「シェアされるストーリーとは?」的な時流にあわせた帯を書いちゃいましたが、間違いではないですw
ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング -よりよいデザインを生み出すストーリーの作り方と伝え方 - ユーザエクスペリエンスのためのストーリーテリング -よりよいデザインを生み出すストーリーの作り方と伝え方 –
Whitney Quesenbery Kevin Brooks UX TOKYO
丸善出版 2011-12-26
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#personal memo:『「意識の量」を増やせ!』

だいぶ前に読んだ本だけども、リマインドのために一部引用をメモ。

「意識の量を増やす」というコンセプトが非常に気に入っている。確かに職場で優秀だと思う人は、意識の量の違うと分かる。コンサルティングをしていた頃、上司であるマネジャーの意識の高さ(クライアントへの気配り変数の多さ、創造力、そして優先度付けのうまさ、からの具体的なアクション、これから当然一瞬のうちに行われる)には非常に学ばされた。

また、例えば戦国時代の武士と現代人とでは、意識すべき変数や深さが圧倒的に違っただろうと妄想される。

  • 街角でいつ殺されるか分からない→常に周囲に意識を張り巡らす必要がある
  • 周りは自然だらけで、生物だらけ、視界も悪そう→常に周囲に意識を張り巡らす必要がある
  • 怪我しても病院もない、救急車もない→怪我なんか下手にしたら死ぬから、意識が高い

その辺を散歩してても命に関わるということで、実に気が引き締まる思いがする。実際は非常に脳天気だった可能性もあるが。

以下、本より抜粋。

「我見」から離れ、いわゆる俯瞰の目線で場を見る。そうすることで舞台から演者がどう見えているのかという意識をもつことができるようになると言った。・・・いわば、意識を芸術として見せることを発明したのが世阿弥であると言える。

「意識を芸術として」見ることができる目というのも面白い。

人の意識をトレースするというのは、人の意識に入り込む感覚をもつことである。その人の意識になってものを見る。その人が何を意識してやっているのかをたどることで、その人の視点、その人のワールドに沈潜する。

ユーザリサーチの現場もそう。相手の立場にたって考えること。自分の思考の枠を外すことが必要になる。これは訓練する中で気づかされ、培われる部分も多い。

生体全体をコントロールしてい知覚の考える部分が、細胞をコントロールして遺伝子のふるまいを変えるのだという。

このネタ元になっている本『「思考」のすごい力』は、非常に気になっている。

人脈とは「他者の脳内において自分の占める割合」

意識改善課題リストに追加。

「よくしゃべる、よく間違える、よく笑う」というのは、「よくトライし、よく失敗し、どんどんふっきる」と言い換えることができる。そういう精神でぶつかっていく人には、閉塞感の壁はない。

意識改善課題リストに追加2。

「意識の量」を増やせ! (光文社新書 522)
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【感想】『これも自分と認めざるをえない展』

(かなり昔に書いたものを今更アップです。しかも超短い)

『これも自分と認めざるをえない展』(オフィシャルサイト)を見てきたメモを、実家から送られてきたピオーネを食べながら気ままに書いています。。

  • 身長、体重(衣服や荷物込み)というデータ程度で、容易に自分は特定されうる(特に荷物込みというのがポイントだったけど)
  • (日本人として生まれた以上)おおよそ幼い頃の体験は誰でも似たようなテンプレートで語れる

自分の感受性がいよいよ廃れたかと思ってしまうが、そこまでぐぐっとくる類いのものでなく、絶妙なニュアンスでなるほど〜確かに〜と思わされた感じだった。「ぐさぐさっ」という感じではなく、「ピコンっ」という印象。これが佐藤雅彦さんぽいのかもしれない。

属性情報って、扱い方でこうも面白くも恥ずかしくもあるものだなと、爽やかに関心させられた。

一番勉強になったのは、インタラクション満載の展示会で、特にインストラクターの力を借りずに身一つでいろんなデリケートな驚きや発見ができる、システムの誘導の仕方がとても秀逸なところだった。


「自分」の範囲はどこまでか

「自分の範囲を広げる」という認識を持つことは可能だろうか。
自分は自分を大事にするという前提があれば、「自分の範囲が広がる」ことで、少しは世の中のためになるだろうか。

常日頃からインタフェースだなんだと言っているが、自分と外界のインタフェース(界面)は浮き彫りになりつつも、頭の中のイメージとしては徐々に消失する方向に向かっているのを感じなくはない。
普段からネットばかり使っていることで、モノを物でなく情報として扱う習癖が身に付いてしまったからだろうか、物理的な界面は、情報を扱うかのごとく簡単に越えられる気がしてしまう。

自分はモノとの界面を越えて、「自分の範囲を広げる」ことでテンションがあがるだろうか。

妄想その1)
出勤中に、自分を中心とした半径10mの球を思い描いてみた。外で道を歩いていて、自分の半径10m以内のモノは全て自分だと認識するよう努める。半径10m以内の地面のアスファルトの上にゴミが落ちていたら、それを払いのけたくなるかもしれない、ゴミが減るのかもしれないと超楽観的なことを思った。
しかし、その辺のアスファルトや草木や土も含めて同化感を味わうのは、何か妙な快感を覚える。しっかりした大きな物と同化することは、まさに地に足が付き根っこまで生えたような安心感がなくはない。

妄想その2)
今度は自分の友達は、自分だと認識する。これは意外と簡単かと思いきや、アスファルトと違って同化感は想起できなかった。
自分の子供でもない限り、自分の一部と認識することは難しそうだ。「意識を共有する」ようなことは妄想できるかもしれないが、まだ自分には糸口がない気がする。

さて、自分は何か大きなものの部分であり、全体でもあるという認識を持つこと。自分自身を海原の一つの揺らぎとしてイメージするような。よくSFで、地球上のあらゆるネットワークにコネクトして、自分という個と大きな一体感を同時に認識するような状態。楳図かずおの『わたしは慎吾』の慎吾のように、「わたしは丸になった!」状態。

そういう現象・状態は想像できるが、そこに向かわせるモチベーションが何なのかがちゃんと分からなかった。

マズローの欲求5段階説をご存知だろうが、5段階の上があることはご存知だろうか?
はじめ、「自分の範囲が広がる」「大きなものとつながる」ことは3段階目「所属と愛の欲求」なのかなと思ったが、Wikipediaによると、実は5段階のもう一つ上に「自己超越」という定義があることを知った。彼の考えによると、自己超越の特徴は「統合された意識を持つ」とか「多視点的な思考ができる」とか「「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている」などがあるそうで、人口の2%のみが自己超越者(transcenders)の域に達しているそうだ。

最近の日本は、マズローの5段階目「自己実現の欲求」で盛り上がってると感じているが、いつかその欲求がおさまる(満たされる)と、今度は「自己超越の欲求」をテーマにしたような、宗教チックな自己啓発本がちまたにあふれ出すのだろうか(なんかやーね)。

だから個人的には、「自己超越の欲求」を満たす一つのヒントとして、超越のちょっと手前のような「自分の範囲を広げる」ことが何か発想を広げてくれるのではと思って、妄想している。ただ、観念レベルではなく、物理的な行動レベルのインフラをデザインすることに僕自身は関心がある(あくまで心->行動->習癖->品性->運命の枠組みが好きで、「行動」をよくデザインすることをミッションと思い込んでいる)。Brenda LaurelさんのDesigned Animismなんかは、大いにテンションがあがる。

ユビキタス/複合現実感のような現実世界とデジタル・インターネットが融合した世界を描く際、僕らはどんな本質的な要件がありうるのだろうか、自分としてもテンションあがる要件は何なのか(笑)、最近そればかりをよく考えている。その中で、もしかすると「自己超越」的な欲望がドライブするかもしれない、「どこまでが自分か?」と問うことがヒントになるかもしれない、と思った。